2023.09月開催 「怒りのワークショップ」しろはなやまクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しろはなやまクラス



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「怒り」について、たくさんのよくわからなかったことが整頓できた今回だった。

「怒りとは…」
「怒りを身体の視点から見たもの…」
これらを聞きながら、「えっ? そうなの? そうだったの?」と、インナーチャイルドと見ていく感じで、面白いとさえ思った。

生物の仕組みって凄い。腸を絶賛したい。
そして、怒りって、思ってたのと全然違うかった。

その勘違いに気づいたこの一つだけでも大成果だった。
そして、「ステージ3」のこのワークショップ、基礎が全て含まれてることも感じた。


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ぶつけても解決しないものを、ぶつけられた挙げ句に怒りを着火したのはあなただと責任を押しつけられ解決まで求められ…なんてめちゃくちゃな、と思ってた。

解決しないやり方だから、解決しないのだわ。それを解決しようとしてたなんて。
その分の歪みを小さい身体で受け止めてたのだなと思う。

その身体も愛おしく思う。ごめん、ありがとう、って思う。
身体って賢い。賢さで守ろうとしてくれていた。


だけど、ショックでもあった。
非常事態モードが常態であること、生きてるけれど死んでいること。

そして、ショックなのだけど、納得できる。
そういう常態であることがどれほど酷いことなのか、どれほど奪われてきたのか、また何を解いていくのか、それを想って泣けてきた。


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また、わたしの父のことも想う。

「生きたい」んだという力は間違ってないのだと思う。
だんだん刺激を多くしないと「生きてる」ってわからなくなること、もっと強いものを、ってなること。
それぐらい「生きたい」ってことでしょ? 

「生きたい」っていう力ってそれぐらい強いんだと思う。
「怒り」と同じぐらい、「生きたい」も扱いを誤りやすいのかなと思った。


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わたしは、まともなやり方で、それを取り戻したい。
教えてもらった対処、生き物としての本来の在り方、要らないボディスーツを脱いでいくこと。
そして、それは、言われた通り長い時間がかかるのもわかる。わたしが思ってるよりもっと。


そして、それは、ワークショップ・クラス最後に書いた自分ができるとても小さくて地道なことをやること。
「隠し扉」と「受け身」に誘惑されまくること。

最後はやはり、「わたしはどう生きたいか」を考え続けること。
そういう道をまた歩いて行きたいと思う。

今回もありがとうございました。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) しろはなやまクラス



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私は今回の「怒りのワークショップ」への参加は2回目でした。
前回はまだ自分の中の「怒り」というものがどういうものかよくわかっていない状態でした。
ただ、漠然と「怒り」に対しての不安があったこと、今後のために知っておいた方が良いのではという思いから参加したことを覚えています。

そして、今の私はようやく「怒り」を感じることが出来るようになりました。
ただ、今度はその怒りに飲み込まれたり、振り回されそうになったりすることがあり、自分の中で戸惑いや怖さを感じるようになりました。

私は1回目に参加した際に学んだ方法で対処はしていましたが、もう一度「怒り」についてとその対処法を学びたいと思い参加しました。


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今回まず印象に残ったことは
・怒りをぶつけると普通は取り返しがつかない、修復不可能
・怒りはぶつけても解決もせず、わかってももらえず、ただ関係が切れるだけ
ということでした。

私の原家族は簡単に怒りをぶつけ、そのあとは普通に戻っていました。
そういう環境で育ってきたこともあり、まだ「怒り」というものが他人にも自分にもそこまでの影響力があるということを理解しきれていなかったということに気づきました。


私は自分が他人に対して怒りをぶつけてしまったときの影響については過去に苦い経験もありわかっていたつもりでした。

ただ、他人から自分に対して怒りをぶつけられることも「取り返しがつかない」ほどのことをされているのだ、ということはわかっていなかったということに気づきました。
この気づきは自分の中で大きな気づきだと思いました。


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そして、次に印象に残っているのは
・怒りは「実在するエネルギー」なので「カーッ」となるだけでなく、自分の中で湧き上がってきたもの、何か感じるものがあればそれも怒りである
ということでした。

私は「怒り」と言えば「カーッ」というイメージでした。
ワークで嫌なことを言われたときに「怒りというよりはダメージが…」という話をしていたときに優月さんから「それも実在するエネルギー
だから怒りだよ」と教えてもらいました。

「怒り」といってもいろいろあるのだということを知ることが出来て良かったです。


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また、「怒り」に対する対処法「エネルギーの放出」もいろいろな方法で体験できたことも良かったです。

実際にしてみて、私はエネルギーの放出の仕方が中途半端だったのだということがわかりました。
これからは形だけでなく、しっかりと落ち着くまでエネルギーを放出しようと思いました。


また、怒りが身体の中にある間は問題は解決できないということも学びました。

確かに私はワークで「怒り」の状態にある間はそちらに気を取られ、解決策は思い浮かびませんでした。
でも、怒りのエネルギーが出ていくと一旦落ち着いて冷静に考えることができました。
やはり「怒りのエネルギー」を放出すること(相手にぶつけるのではなく)が大切なのだと思いました。


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ただ、「怒り」の原因は「境界線の侵犯」なので、自分が怒りを感じるということはそういう環境に自分を置いているということでもあり、自分をそういう環境に置かないようにすることも大切なのだと学びました。

私は怒りに対する対処も大切だけれど、そもそもそういう環境に自分がいるのだということに気づくことも大切なのだと思いました。


まだまだ消化できていないことがたくさんありますが、自分を観察しながら学んだことを実践していきたいと思います。

ありがとうございました。




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M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) しろはなやまクラス



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私はまだ「怒り」を感じる準備ができていないのだと思った。
私はまだ、自分を安全にできていない。その事実がある。

できないではなくて、できるための方法を積み上げていきたいけど何を書いたらいいのかわからなくなってしまう。

ただ悲しくてそこに横たわっている感じがする。
私は私の願い・希望を持つことが難しいと感じる。




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A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) しろはなやまクラス



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ワークショップ・クラス翌日、仕事は休みにしていたが、朝の子どもの準備、片付け、洗濯、メールの返信内容を考える…などしていて、気づいたら10時になっていた。
「あれ? そういえば私、お腹が空いたと思っていたはずなのに、朝ご飯を食べていない」と気づいた。

ワークショップ・クラス翌日だというのに、やっちまった。腸の感覚を麻痺させて仕事してた。
いや、思い返せば、普段もよくあることだった。ワークショップ・クラス翌日だから、気づけたのだ。


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他の日でも、子どもと過ごしている休日、ちょっと予定を頑張ってしまって、朝から便意があるのに、出ない。
夜になって、みんなが寝静まってからやっと出た。これもしばしばあることだった。

私は自分で思っていた以上に、常に臨戦態勢で生きていて、腸を止めて生きているのかもしれない。


「心地よく寝ましょう」「美味しく食べましょう」…今まで基礎でずっとやってきたことの、本当の意味を知ったワークショップだった。

全体像が見えたので、なおさらのこと、その基礎の大切さがわかった。
私はそれを馬鹿にせず、感覚をとり戻し、自分を満たせるようになりたい。


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空手やキックボクシング、四肢を使う運動…。
今まで考えてもいなかったような候補が出てくる。こういうのが、自分1人じゃなくてよかったと思うところ。

小学生の時、戦える女の子に憧れて、空手教室に見学に行ったことがあった。
当たり前だけど、教室にはたくさんの子どもがいて、私はそれに怖気付いてやめてしまった。

当時から他人が怖かったんだなあ。
そうやってチャンスを失ってしまってきたんだな。


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キックボクシングの教室は、近所にある。
一度行ってみてもいいかなと思い始めてきた。身を守る心得があれば、それまた安心にもつながる。

一番日常に取り入れやすいのは、子どもと一緒に散歩をすることかな。
早速、今週スケジューリングしてみて、確かにスッキリした。

枕叩きは、簡単にできるようで、案外とっさにできなかったので、日々の運動とともに TODO に書き込んだ。

職場でもソファーがあるので、人がいない時に叩かせていただくことにした。
叩いている間、心が無になり、ひとしきり叩くと、モヤモヤが晴れた感じがする。


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「怒りは、人間関係を切るためには非常に有効な手段ですが、『わかってもらう』ためには全く意味がありません。
映画やドラマでよくある、『誰かが怒って、それを相手が理解してくれて、愛が深まる』というシーンは、フィクションです。」
このように聞いて、私はイタタタ…となっていた。

原家族では、相手に「わかってもらう」ために怒る、そして、怒っても相手は理解しないということの繰り返しだった。
それがうまくいってないことを知りつつも、他のやり方は見たことがない。

漫画や映画の世界では、怒ってわかってくれる人もいるみたいだ。
「わかってもらう」ために怒る、というのは手段としてはありうるのではないか…と思っていたのだ。

私は往々にして、原家族で見たことのないものを、フィクションから学ぶ、ということをよくやってきたように思う。
でも、フィクション=起承転結・波瀾万丈のストーリー=ほぼ共依存者のストーリーなのだ。
学ぶべきところを完全に間違えていた。


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原家族のやり方しか知らないから、子どもに「わかってほしい」時に、うっかり怒りをぶつけてしまう。

やり方として間違っている。
今週も何度かやらかしてしまっている。

日々、浄化の練習をしつつ、怒りのビーカーがいっぱいにならないように、まず自分のコンディションを安定させたい。


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