2022.03月開催 「春の大勉強 & 大準備会[一般編]」あまやどりクラス

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M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) あまやどりクラス



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勉強会当日くらった打撃を感じている今週です。
なので、まとまりのあるものが書けるかわかりませんが、いつも通りやっていきます。


当日は前半から衝撃でした。
そして、自分が情けなくなったのだとも今なら思う。
「医師と弁護士」の話を聞きながら、自分の勘違いやカスい部分を感じざるを得なかった。

よく目に触れてた書物やメッセージに「自分らしく生きる」ということがあったと思う。
それを目指していたと思う。確かにそうしたいから、目指していたと思う。

そのことを、わたしはずっとぼんやりと、手探りのまま、本当にはわかってなく、あるいはまだお花畑に感じていたのだったと認めざるを得ない「医師と弁護士」だった。


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そして、具体的に、輪郭を持って、「生きる」ということはこういうことだ、に触れたから、泣けてきたのだと思う。
今も泣けてくる。

そうしたいから目指していたときに、何度片手に “乾杯” を掲げていたのだろうかとも思う。
そこかよ、そこだったのか。どれだけ見えてないんだよ。

「わたしはこう決める」の片手に “乾杯” があることは、「もう一杯おかわり!」ということじゃないかと気づく。

「決める」じゃない、それは「おかわり」だった。
うなだれる。


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アプローチも全然違うかった。

「今日こそ、わたしは自分らしくいる!」と気合いを入れる(手にも “乾杯” を感じる、今なら)。
いられたような、いられなかったような…このよくわからない感触、上手くいった日は(というのは、外側が上手く回った、だったのでは)いられたという酔いがあったのでは…。

「今日こそ、わたしは自分らしくいる!」は、まさに「今日から砂糖ゼロ!」と同じ発想だったんだとうなだれている。
今見れば「自分らしくいる」など、テーマが大きすぎるのではとも思った。
それすら気づいてなかったのか。

そのアプローチではなかったんだと驚くやら恥ずかしいやら。
居続ける、認める、じわじわ増やしていく、そういう感じだったのか…。


春の大反省会でした。ありがとうございました。
次に繋げていきます。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) あまやどりクラス



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わたしの今年の目標は「じぶんにたっぷりのじかんをつかう」です。

わたしは小さな頃たくさん神様とはなしをしていた記憶があります。
そして今はそれは理科だったのかな、と思っています。季節のうつろいの中でどこで何が咲くかとかどんな生き物がどこに住んでいるか、とか、自然の摂理。

それに興味を持ちじっと観察していた。
その時間が一番幸せな時間だった。
わたしはそういう子どもだったなぁと思います。


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家の中が戦争でも、学校の行き帰りの道はわたしの憩いの場だった。わたしにとっては帰り道こそじぶんのほっとする居場所だった気がします。そこで癒されていたから頑張れたのかもしれない。
わたしが育ったところにはとても高い山があって、山がいつも見ていてくれた。小川がいつも流れていた。

わたしに一貫性を教えてくれたのは、山と小川、田んぼや木の葉だった。山がわたしのお父さん。厳しい表情でいつも見守ってくれた。小川がわたしのお母さん。心地よいせせらぎの音でわたしの髪を梳いてくれた。

あのふるさとを離れたことも、わたしにとっては大きな痛手だったかもしれないと思います。
けれどそれでも、父と母とあれ以上一緒に過ごすことも、できなかった。


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中学生のころまでは心の中に大事なともだちがいて対話をしていたのを覚えています。そして子育て10年目に人生で一番ショックな出来事が起こるまで、わたしはじぶんの中のその相手を見失って生きていたということに気がつきませんでした。

そこから長い時間をかけて問い直し続け、嘆願する対象としての神様との会話を繰り返しながら迷い歩いてきた。
やっとほんとうに話しかけるべき、耳をかたむけるべきその対話の相手を思い出せたような気がします。


ほんとうはずっと見守られていた。そして今も。わたしはただ、迷子だっただけ。

小さい頃のわたしは、自分はちっぽけなのだということを山を見るたびに感じていた。自然にわき起こる畏敬の念を感じていた。

今ようやくわたしは、生きればよかったんだ、というところに落ち着いたなって思います。


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わけもわからず苦しいことがずっと続いていた。本当に辛かった。
そしてわからないからとても怖かった。そしてそれは当然だったなぁって思います。

よくよくここまで生きてきてくれたな。
怖かったし、寂しかったよね。ひとりで。
ごめんね。


わたしはここから始まる一年をわたしのために生きてみたいと思います。
温泉につかるように、体も心もほぐしたい。
一日、一日をわたしはわたしのためにおくる。


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わたしは ONSA を通じて学び「死ぬまでは生きる」と決めました。
それはすごく偉いとじぶんでおもいます。
そしてわたしの命は死ぬまで見守られてあるのだと感じています。

おなじおもいで、おなじように悩みながら道をかき分けて生きているお仲間さん。
そして整理した知識を分けてくださる優月さん。

いつもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。




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Y. W. さん(40代以上/愛知県よりご参加) あまやどりクラス



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私は、肝心なことをしていなかった。
私は「うまくできないことはしたくない」と思って、逃げていた。
でも、うまくできるかどうかは、関係なかったんだ。

私は私のためになること、私を健康に戻すことを、とにかくやる。
やれば身に付く。
それが回復や幸せへの近道だった。


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会の翌日から、私はチェアワーク、考えることをこまめにするようにした。
私に必要なことは、こういうことだったんだ。
とっても助けになる、頭もスッキリする。

それでも、私の中の抵抗やコントロールも強くて、チェアワークしても、頭の声が響いて心の声が拾えないこともあった。

私は「拾いたくない(心の声に正直になったら、動かないといけないから)」という抵抗が、まだある。
そういうことも、実際にやったから観察できたことだった。


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私はまだ、自分の人生から逃げている。
私は、生きることとか、人生とか、どうしていいかわからず、困っている。

でもチェアワークすると、私は「まず目の前のこと、ひとつだけ」に戻れる。
私は、目の前のことをひとつだけ、まずはやればいい。
ひとつやって、次が見えたら、また進む。


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最初から、完璧に、完全に、先の見通しなんて立てられなくてもいいんだ。
今の私のテーマは、とにかく自分に正直になること。

解決策が浮かばなくても、気持ちには正直になる。
チェアワークを続けながら、私の道を探していけばいい。


私は、ずっと酔っ払って人生を生きてきた。
私は悲しいし、悔しいし、ため息が出る。
でも、だからこそここから、私が変えていくんだ。
私は、酔ってない人生を生きたい。

優月さん、スタッフのみなさん、お仲間さん
ありがとうございました!




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S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) あまやどりクラス



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さまざまな「自分」を発見した。
「歓心を買う」という「酒」に依存する、重度のアル中の自分、常にジョッキを握りしめている自分、それを手放すことを怖がる自分。

後になってから「飲んでいた」と気がつく自分、酒を酒で割る方法を次々に編み出していく自分…。
振り返った自分の歴史は、まさに壮大な飲酒歴そのものだった。


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チェアワークをどこかにしまい込んでいた自分もいた。
その効果も大切さも体感していたはずなのに、「とても良いことを知った!」と感動しただけで、「いつか」のために手つかずで取っておくようなことをしていた。

ごくわずかの「思い出したとき」に「気まぐれ」で取りだしてみる、ようなことになっていた。
「いつか」とは一体いつなのだろう…これは自分のための時間をとることを「先延ばし」「後回し」にすることにも通じる。

しまい込むお守りにするのではなく、常に「今、ここ」で、「自分が必要だと思ったらできるだけやる」ということを実践していく決意を新たにした。


ワークショップ内でチェアワークをしたとき、しーんとした静けさが「聞こえる」という感じがした。

そして自分がまとっている空間や時間がゆっくりになったように感じ、私のなかの私からの声も、ちゃんと耳に届いてきた。
いまの日常の中にはほとんどない「しらふ」の感覚なのだと思う。


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ワークショップに取り組むとき、その場に身を置いているということだけに甘んじていたかもしれない。
それだけでいずれ飲酒がチャラになると思っているとしたら、それは何て無謀なことだろう。

けれど酔っ払いの自分は、回復作業を「やっているつもり」になっているかもしれない。
根強い悪習慣を変えていくためには、そこにいつも「私」の存在がなくてはいけない。

そこに「私」が不在のままでは、結局「私」は変わらないまま、どこにも進まないのだ…。
これは、とても恐ろしい。そして、知らずにいたらと思うともっとおそろしい。

様々なワークへの取り組み方も、自分のために少しずつ変えていきたい。
「うまく、立派に、誰かのために」ではなく、「しらふでいて、自分で考えて、やってみる」ようにしていく。


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チェアワークをしながら「この一年をどんな年にしたいか、何をしたいか」と問うてみたとき、自分のなかに確かに望みがあるのを感じた。

当初「考えずに」書いたときには、あれもこれも、と次々に出てきたのだが、「私のなかの私」はもっとゆっくりと答えていた。
そして、ちゃんと「私は」という主語をもっていた。

まず自分をよく知る、ということが今の大きなテーマと感じている。
そのための準備や計画をしていこうと思う。


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依存は、酒量やアルコール度数の問題ではない。
「共依存」の状態は1ミリでも1%でも、絶対にダメなのだ。

短時間だから、たまにだから、と他人のために時間を差し出すとき、すでに私は立派な酔っ払いなのだ。
このことを自分が認め、必要な知識を取り入れて、「しらふ」でいるよう練習をしていく。

私は私に時間をかける。
「いつか」ではなく「今、ここ」で、自分が自分のために、一つずつやっていく。
私は、そうやって進んでいこう。

優月さん、ご一緒した皆さま、今回もありがとうございました。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) あまやどりクラス



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わたしへ

まずはお疲れさまでした。
今回もこてんぱんにされましたね。

本当に恥ずかしさ満載だったけれど、それはこの場所はそれをさらけだして良い場所だと本当にわかっているから出来たことだよね。
それは素晴らしいと思うよ。
来年もこてんぱんにされましょうね。


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私は基礎編に続き、一般編にも参加しました。
今回は2つのワークショップに続けて参加してとても良かったと思いました。

基礎編をより深めた内容で、私は自分がつまづいていたところがよくわかりました。
痛くてまだまだ消化は出来ていませんが、良かったと思っています。


アルコール依存症を共依存に直して話をしていただいたことはとてもわかりやすかったです。
ビールジョッキを持ちながら「そんなには飲んでいません。断酒してます」と言う。

私は人に嗜癖しながら、人の評価を気にしながら「回復作業してます。ワークしてます」と真顔で言う。
「わかってます。やってます」と言いながら何ひとつ自分で決められない。

そういうことを指摘されるまで気づかない、されても認めない、そういうことに気づかされました。


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回復作業というのは「ワークショップに参加しているときだけ」「ワークしているときだけ」「仕事から帰ってきたら」ではない。
そうではなく「すべての時間を今までと違う生き方をすること、自分で止まって考えて結論を出していくということ」。

そして、これをすぐに完璧にしようと思わない、またそれは現実問題として出来ない。
出来ないことを認めながら日々をやっていく。
そういうことを学びました。


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今回特に私は自分の共依存っぷりをワークショップの最後の最後まで披露してしまい、本当に恥ずかしいやら情けないやらでしたが、楽しかったしなんだかスッキリしました。

「出来ない自分」を出せたこと、出せる場所があるということが私はうれしかったしホッとしました。
「共依存はプライドの病」と聞きました。私は以前の自分を思い出して本当にそうだなと思いました。

今年は「納得のいくまで考える」をしたいと思います。


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クラスでご一緒したみなさん、「いててて…」がいっぱいでしたが、あたたかい空間でリラックスしてワークに取り組むことが出来ました。ありがとうございました。

優月さん、優月さんから以前「ワークショップや仲間やパートナーになる人には自分のポンコツ具合を見せていいんだよ。ここでまで見せずにかっこつけてどうするの? 損するだけだよ」と言われたこと、すごく私の中で大切な言葉になっています。
今回もありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) あまやどりクラス



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ワークショップで、自分に変わる気がないと言われて、頭がシャットダウン。
でも、時間が経つにつれて、思いを巡らせると、他力本願で、一発逆転で変われるとどこかで思ってた自分に思い当たる。無意識にずっとそう思ってきた。

週の半ば、私のやり方はインスタントだと、ふと思った。
つまりは「一発逆転」を狙ってきたということ。


チェアワークも10秒瞑想も、結構やっているつもりだった。
実際、何度も繰返しチェアワークをする日も時々ある。

ただそれは、私が動揺している時やダメージを受けた時。
夢に向かって自分がどうしたいか、目の前の一つ一つを丁寧に考えて真剣に決めるためではなかった。
ただマイナスをゼロクリアにするためでしかない。そして多分ゼロにもなっていなかった。


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この1週間は、チェアワークで今ここを意識するように努力した。
チェアワークをしている時でさえ、頭の中を色んなことが駆け巡っていく。これが終わったら何をしなくちゃとか、あれを忘れていたとか、ついついぐるぐると考え始めて、一体何のためのチェアワーク?

今ここにいるための時間ですら暴走しそうな自分に気が付く。
首や肩の強い痛みに気付いて、また気を取られるけれど、体を縮こめて防衛姿勢を取っているからだろうな。これはこれで対処の必要もある。


いつも焦って、とにかく次へ行かなくてはと思ってる。
次、次次…、とアフターワークに書かれているダメな例そのもの。

プレワークもアフターワークも、私はいつもやっつけてただけと思った。
ワークショップに参加することで満足して、そのうち変われる気になってたのかもしれない。
一発逆転。達成一直線。


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ワークショップで気付いてみれば、日々の中でどれだけ自分が人に酔っているかを実感する毎日だった。

人とのやりとりをいつもリフレインさせて、私の言動が正しかったか、ベストだったか、常に確認している。
もう無意識で、頭の中を巡っていく。

誰かに何か言われても大丈夫なように、いつも頭の中でシミュレーション。シナリオを描き続けている。
常に想定問答集を考えている感じ。

過去か未来か。私がいるのは、いつでも今以外のどこかだ。


最悪の事態に備えて、いつも準備しているのは、家の中で自分の身を守るためにやむを得なかったと思っていたけれど、今の私がしているのは、自分の良いところをいつでも売り込めるよう準備万端でいること。
そして、首尾よくいったか確かめること。
それが、私が息を吸うのと同じくらい、当たり前にしていること。


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私は反応が得意だった。
いつも周りには問題が山積していて、私は常にそれに対処しなくてはいけなかった。だから目の前のことを片っ端から片付けることに長けていた。子どもの頃から、そうしないと生き延びてこれなかったから、必然的に鍛えられてきた。

問題を解決していくことを、自分で考えて行っていることだと、私は思いこんでいた。
「考える」ことの理解が違っていた。

私が当たり前にしていることは、完全な泥酔状態だった。


日々仕事を片っ端から片付けて、上手にこなして、役立つ人間であることを演じて。
倒れるように終業した後は、『未来日記』には怒りやモヤモヤを延々と吐き出す。前進することはあまり書けていないし、考える時間も取っていないから、全然進まない。

変わるわけもないし、変わるつもりも感じられない。
泥酔しながら、そんなことをずっと繰返してきた。


文節区切りの線

今までの自分を考えたり、思い出したりすると、恥ずかしいことばかり。
私何やってるんだろう? バカみたい、と思えてくる。
自分をボコボコにしたくなって、ふらふらとまた飲酒の方法を考えだす。

より強い刺激を求めていくのが、最近加速しているようにも思う。もう限界かも。

12のステップの最初にある通り、この生きグセのために思い通りに生きていけなくなっていた。
ここで気付けたのが不幸中の幸いだと思いたい。


文節区切りの線

今週は、アフターワークの時間を少しずつ手帳に入れて、意識的に丁寧に行ってみる。
いつもより自分と対話している感じがする。

つい違うことを始めたくなるけれど、シラフに戻るように意識しながら、少しずつ。
根詰めてやろうとすると、また投げ出したくなる。

こういう原家族のやり方を、私は違う習慣で上書きしていく必要がある。
根気強く。


時間を確保しながら、一つずつ、一瞬一瞬、今ここにいられる時間を増やせるように私は過ごしたい。
私はどう見られたい? ではなくて、私はどうしたい? を考えることに時間を使いたい。

そうすることで、私は私の人生を生きたいと思う。


今回もありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。