2022.06-09月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(1)コース1/STEP.1」しんやクラス

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タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) しんやクラス



タイトル下の線


おつかれさま、わたし。
後がないというのもあって、必死だったね。

振り返って、自分をちゃんとほめてあげること、少し足りなかったのかもしれない。
でも、この場を借りて、認めてあげたい。


文節区切りの線

できていないこと、まだまだなことたくさんあるけれど、それでもこの期間感じたのは、人が本気で向き合うということがどういうことなのか、実感したように思う。

もちろん、これまでも、その場その場は必死だったかもしれない。
ただ、腹の底から、揺るぎない本気というものがどういうものなのか、その片鱗に触れたように感じる。

その一方で、そういう体験を通して、自分がどういう物の見方をしたり感じたりするのかを改めて気づかされた。
それから、何を本当に大切していく必要があるのか、その軸を再確認したり。

また、自分の考えていた方向性がまずくはないけれど、やはり甘かったりするのか…と、痛い気づきとともに、改善策は何だろうと考えたり。

そうしていると、やりたいこと、やらなくてはいけないこと、勉強したいこと…など、現実の改善を日々少々加えていくと、時間との向き合い方はこれからも続いていく。


文節区切りの線

毎日の時間こそがかけがえのないもので、生きることそのものであり、今の自分を形作っている。

過去の自分から今の自分を振り返ると、こんな景色が見えると思っていなかった。
自分の中で大切にする揺るぎない軸を確認しながら、これからも、歩みはとめない。




タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) しんやクラス



タイトル下の線


私は自分がいかに時間を読み誤っているかをつくづく実感する。

どだい無理な枠に無理やりなんとか詰めこもうとしては、イヤになってしまうこと。
手帳に書けていないことや、書いている量が合ってないことで、とても窮屈で縮こまるような思いをしていることを痛感してる。

何か思いついたら、まず手帳を開く。これだけの量をどこに入れるんだろう? と思ったら、真剣に取捨選択や自分のしたいことに優先順位をつけていかないと全く無理だと気が付く。

ミニマムでこれだけしたいと書き出しても、結構できなかったり。
投げ出したくなるし、だったら無計画で突っ走ったほうがよっぽど楽に思える気もしてきたり。
そうやって日々を惰性に任せてしまいたくもなる。


文節区切りの線

自分のための予定を入れようと手帳を開くけれど、無意識に、そこにある他人や仕事の予定をなんとか優先させようとしてしまう。
そんな自分に何で? と思って、立ち止まって冷静に優先順位を考え、他人の方を調整する。罪悪感を持たずに行動ができたことは一歩前進だ。

それでも、自分のために本当にしなくちゃいけないことは、中々できていない。

私は日々の忙しさや体調、自分で次々と作り出してもいる雑多なことで、時間を埋めたり流されたりしてしまう。
それに気付いている。

私は今回の課題で新たに気付くことも色々とあった。
以前も気付いて忘れて、新鮮に読んだところもあるかもしれないけど。以前の私はきっと流して読んでいて、じっくり考えながら読むようになったと思う。


文節区切りの線

私は拙いなりに、学ぼう、調べようともしている。
そのための時間が圧倒的に足りないことも実感している。

こんなペースでやってたら、私は幸せになる前に年老いて死んじゃうんじゃないかと思う。
そして自分が本当に無知だったことも思い知る。


そんな風に色々気付けていること。
私にとってはそれが進歩。

何度も投げ出したくなっても、今回もここまで来れたことを私は自分で認めたい。
ずっと足踏みして停滞しているように思えても、できていないことばかり考えてモヤモヤしたり焦ったりしても、それでも進むことを諦めない自分を認めたい。

今回もありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(40代以上/長野県よりご参加) しんやクラス



タイトル下の線


わたしは「人との関わりを持つな」と言う暗なるメッセージを受けて育った。
それは自分がそう感じとったというだけで、本当にそう言うメッセージが伝えられていたかと言うと、そうではなかったと思う。

子どものわたしは必死だった。
とてもとても怖かった。
そうしなければ本当に死んでしまうと思っていた。
だからがんばった。
感じたことを自分にできることで、なんとかしなくてはならなかったから。


文節区切りの線

わたしは自分が愛されるに値しないと信じていたので、たとえ愛されてもそれが腑に落ちることがなかった。
恐怖で固まったままのわたしはどこにいても笑顔で優しくて、それでいて心の中が氷のように閉ざされているのを自分でさえわからないようになっていた。

恐怖で固まったまま他者が自分とは違うものである、と言うことを学びとることができずに、相手の愛し方を見分けることも聞き分けることも感じ取ることもできなかった。

ひとりぼっちの真っ暗な世界は暗くて冷たくて怖かった。


文節区切りの線

わたしはすごく変わったね。
すごく辛いところから本当に這い上がってきたよね。
真っ暗な闇から本当にちょっとずつ明るい光の方へ。

問題はなくならない。
生きている限りいろんな課題がやってくる。
けど今回わたしが乗り越えたものは今までで一番かけがえのないものだったのじゃないかな。


生きることの意味。
わたしはそれを見失ったままで生きてきた。
叫びだしたいような痛み。
あんなところをくぐって、それでもまだわたしの体の温もりはどくどくと命を刻んできた。
ひと時も止まることなく。

自分を大切にするための課題はまだまだ山ほどもある。
一つとしてもうこれは完璧だ。なんて言えるものがない。


文節区切りの線

わたしは人に依存するし、わたしは自分を休ませられない。
わたしは夢をうまくは描けないし、わたしはだらしがなくて意思が弱くて失敗する。

けれども今のわたしは以前とは違う。
今のわたしは人とのつながりの中にいる。

わたしらしい方法で生き始めることを学び、その勇気を持って一歩踏み出した。
とても怖いことだったけれど、それでも一歩を踏み出した。
他者とは自分とは違う宇宙を生きるので自分の想定どおりには動かないこと、表現方法も意味も全く違うと言うことを学んだ。
だから優しさを読み解けるようになった。


人とは違う自分。
相容れない自分。
そんな自分でいることに、勇気を出して踏み出して、思いがけない他人を理解し始めている。


文節区切りの線

わたしの寂しさはとても深かった。
そしてその寂しさに対してもわたしは一歩前に出た。
わたしはもうその嫌な気持ちから逃げなくなった。
感じたら、一歩前に出る。
受けとめる。
感じ切る。
怖くない。

自分の感情を自分のものと引き受ける。

父も母も寂しかっただろう。
そしてそれは父の、そして母の感情だった。

わたしのものではなかった。

そうとしか繋がれなかったわたしだけれど、今はもう違う。
負の感情が来ても恐怖に縛られないですむ。つながりの中にいるから。


文節区切りの線

わたしはこれから、もっともっと自分らしくなってゆくだろうと思う。
恥ずかしくてずっと隠してきた自分。
誰にも見せないようにしてきた自分。
社会通念の中からも浮いてしまうと感じてきた自分。
そんな自分をわたしはこれから大切に育ててゆく。

わたしの感じ方。
わたしの発想。
論理の飛躍。
何が起こっても、わたしは楽しく生きたらいいのだと思う。
自分が心からこれは楽しいと思えることをどんどんやったらいいのだ。
完璧にできるのを待たずに夢中になったらいいのだ。

わたしはまだまだだけど、わたしはわたしのことが今は大好きだ。


文節区切りの線

わたしにとっては何かを達成することも、何かを成し遂げることも、興味がない。

たとえほんの一瞬でも、温もりやつながりの中でわたしの存在に意味が灯るなら、わたしはそのためだけに自分の身体を大切にしていきたいと思った。

多分それはありのままの自分でいるってことなんだと思う。
ちょっと恥ずかしいと思うことも含めて、わたしはそのままでいていい。
どんなときでも。

周りの人に頼りながら、助けてもらいながら、不十分なままで生きていこうね。

わたしはわたしを見捨てない。
ずっと手を繋いで一緒にいるんだ。


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