自分でもそうだったし、友人ともよく、こんな話になったりします。
「そうだと思い込みたいこと」
「現実の、純然たる事実」
この、ふたつのあいだには、相応の距離があることがあるよね……と。
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私にも、この第1回目が、起こったことがあります。
忘れもしない、20代のはじめ。
「こうだ」と信じ込みたい現実が、ボロボロと破綻してゆく。
要するにですが、それは、
「こうであってほしい」
という妄想だった。
現実では、なかった。
この事実を、現実のほうから突きつけられた時、2つの道がありました。
そのまま、目をつぶり続けるか。
あるいは、思い切って、幻想の眼鏡を外すか。
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外しましたよ。
だって、現実が、どうにもならなかったのですから。
前にも後ろにも、どこにも進めないとは、このことだった。
そして、外した瞬間、
「ギャー」
です。
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その、第一度目の経験から、いくつもの眼鏡を外してきました。
そこから、学んだことがあります。
それは、
「無駄な抵抗は、しないほうがいい」
ということ。
別の言葉で言うなら、腹を括ってしまえ、とも言える。
そもそも論として、それが、必要な眼鏡なら。
外したほうがよいような状況に、至るはずがない。
つまり、そうなっているなら、そうしたほうがいいということ。
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言葉を変えるなら、こんな瞬間を迎えている、ということなのだと思う。
幻想の眼鏡を、外さざるを得ない状況。
それは、新しい価値の中に、生きよと言われている瞬間。
前に進む勇気を、試されている時。
つまり、変化の瞬間。
それでは、また。
また、メッセージを書きにきます。