ちょっと、命のことを | 今度は、兆候をとらえたい

ご覧になった方もいらっしゃるようですが、note 記事に1本だけ、新しい投稿をアップしておきました。
本当は、山ほど分かち合いたいことが。
ですが依然、こちら、仕事の山をかき分けているさいちゅうですので、最重要だと思うもの1本だけ。
2020年から21年にかけて、端を発した事件。
時間をかけて、後づけで仕組みを学ぶことで、今度は、騙されなくなってきた。
そうは思うのですが、念には念を入れたい。
つまりですが、兆候って、何にでもあるものだと思います。
兆候は、本能のアンテナに、必ず引っかかる。
嗅覚や生存本能を鋭敏にしていれば、違和感のようなものは、居心地悪く残ってゆく。
この、一種の居心地の悪さが、実は、重要であると考えています。
私は、アップした件が、すごく気になっています。
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アップした件って、じゃあ、どこからスタートするのか、という問題がありますよね。
もちろん、「日本です」という誘導尋問的な答えを、期待しているわけではない。
そうではなく、こういうことだと思う。
隙のあるところ、御し易いところ。
無抵抗なところ、思考停止なところ。
大本営を、うのみに信じてしまうところ。
ひとつ前の出来事だって、こういう場所や、こういう傾向のある場所から、スタートしたのではなかったか。
だから、今度は、見逃したくないと思っています。
よかったら、見てみてくださいね。
それでは、また。