2023.06-09月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」じぇみにクラス

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タイトルはじまり目印

S. H. さん(30代/宮城県よりご参加) じぇみにクラス



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わたしへ
本当におつかれさま。
この大切な3ヵ月も、歩みを続けてくれて、ありがとう。

3ヵ月をスタートしたばかりのころと後半のほうでは、同じ自分なのにどこか別人のような、不思議な気もしている。
自分自身を少し引いたところから見てみると、そのときには見えなかったことに気がつくことがある。

今ならば、「まだこの時はこうだったよね」と落ち着いて受けとめられることも、そのときは大まじめに困惑していた、ということも多々ある。
私にとって、このほんの3か月の間にも、様々な出来事を通じて、多くの気づきがあった。


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私は、これまで学んできた知識が、自分と本当につながるような実感を、多く味わった。
初めて聞くことではないはずなのに、ハッとして、これを自分でやっていくということなのだな、という発見があった。


たとえば、私は自分で境界線を引かなくてはいけない。

それは、宣言するだけではなく、実際に行動を伴わせて、自分の現実に起こさなくてはいけないことなのだと感じた。
そのために、境界線がどうなっているか、正しい位置はどんなものかを「知る」ことは、自分にとって大きな力になると感じられた。

私は、「見えない利益」欲しさになじみの旧いやり方をとることも、自分でやめなくてはいけない。
できるだけ失敗の少ない、簡単に手に入る、といったなじみのやり方で、「かりそめの安心感」を求めようとしてはいけない。


文節区切りの線

私はこれまでは、知識を得ることで、本来あるはずのものが自分の育った環境には無かったということに、ただ悲しくなることが多かったと思う。

本来あるはずだった、境界線の正しい位置、安心や安全を感じられること、「遊び」を通して自分を知ったり試行錯誤を学んだりすること…。
私がこれまでやってきているのは、自分の境遇を悲しいとか残念だと感じて、嘆き悲しむことだった。


私は、できていないことを恥じて、責めて、その痛みを味わい続けてきた。
そして、心の奥底で、誰かが憐れんでくれるかも、助けてくれるかもしれないと、期待をしつづけてきた。

私はいまだに、現実的にどうしたらいいか分からないとき、とにかくそういう解決法を取ろうとしてしまう。
私は、そこからもう一歩、自分の足で踏み出さなくてはいけないのだと思う。


文節区切りの線

私のこれまでの生き方は、コントロールだらけだったと、改めて分かった。
私が自分の感情と思っていたものは、誰かのニーズや考えに、大きく影響されていた。

私は、コントロールで埋めていたために、自分の感情もニーズも、分からない状態になっていた。
私はこれまで、「自分ではない」もので、自分の境界線のなかをいっぱいに満たしていた。

私は、自分のことが分からないという気まずさも何とかごまかすために、さらにコントロールで上塗りしていた。
自分への嘘だらけの状態で、この自分を信頼するとか好きになるということのほうが、無理な話だった。


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私はある週に、「原家族の考えや行動は、私とは別のところにある」といった気づきを書き込んでいた。
私は、彼らと同じように考えたり同じようにしたりする必要はないのでは、自分の側が離れてもよかったのでは、と書いていた。

またある週には、自分の感情が自分の身体と結びつくという感覚を、改めて確認していた。
そして、他人の感情は他人に属するのだ、ということも、言葉だけでなく全身で理解が進んだように感じられた。

私はこれまで、「他人がどう思うか」という、いわゆる「自分に変えられないもの」に、大きく揺さぶられ続けてきたのだ。
私は、揺さぶられることがすぐに無くなりはしないとしても、この理解が進むことは、自分にとっての大きな助けになりそうだと思う。


私は、自分にとっての新しい体験を増やしていくことは、どうやらとても豊かなことだという実感も、少しずつ増えてきた。
緊張感や未知への恐怖も感じながらも、その体験の価値は、何にも代えられないような気がしてきている。

私は、気づきの一つひとつが、自分の一部として積み重なっていくことの確かさを、感じている。


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私はいま、この3ヵ月を過ごした誇らしい気持ちとともに、自分に謝りたいような気持ちを感じている。

私は、自分がやらなくてはいけないことを、まだ本当にはやっていなかった。
それなのに、ただ自分を責めたり恥じたりすることで、「何か」をやっている気になっていた。

私は、ずっととても窮屈だったのに、さらにそれを助長するようなことを重ねてきていた。
私は、怖いとかわからないとか、ただそうやってあれこれ嘆いているだけで、実際に行動を起こす勇気を出していなかった。

わたしへ。本当にごめんね。


文節区切りの線

私には、自分でやっていく力が足りていない。
私は、それを認めることが、とても難しいことだとずっと感じてきた。
本当に自分はからっぽで虚しくて悲しいということを、認めなくてはいけなくなるから。

そして認めたら、向き合わなくてはいけないけれど、どうしたらいいのか分からないから。
だから、向き合いたくない…。


今の私は、その堂々巡りから少し別の方向へ、じりじりと進もうとしているところではないかと思う。

少なくとも、何もないところからやっていくのはとても大変だということを、認めようとしている。
何もないところから、旧い方法を使わずに、自分を知り、方向を見つけて、自分の足で立って生きていくということは大変なことなのだ。

でもそれは、自分でやっていくしかないのだ。
私は、それをできるようになりたいのだ。


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そして、やり方を大きく変えるという大仕事に向き合うには、自分にとっての安心や安全の土台が、絶対に必要なのだ、ということも実感している。

基本の土台をつくらずに、立派そうなものに近道でたどり着こうとしても、太刀打ちできそうにない。
自分をいじめたり責めたり叩いたりすることも、まったく解決にはならないのだ。

おそらく、この道のりの当初から、知識としては何度も教わっていることだと思う。
けれどいま私は、絶対に自分の味方であろうと、決意を新たにしている。


文節区切りの線

私はこれから、「私はどう生きたいのか?」を問い続け、自分のために勇気を出して行動することを増やしていきたい。
正直なところは怖いけれど、ときには失敗もして恥もさらして、これまで味わっていないであろう「生きる」という実感を、味わってみたい。

私は、自分が自分を生きるということを、自分でやらなくてはいけない。
私にしか、できないことだ。

なにかを試してみて、転んだりがっかりしたりする自分も、私が大切に受けとめていきたい。
私は、もっといろんな自分と出会ってみたい。

また一緒に、この道を進んでいこう。


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