2022.02-05月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」しょうげつクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しょうげつクラス



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畳の上で水泳はできない。とつい最近も、そしてだいぶ前にも読んだと思う。

畳からプールへ、そして、海へ出ていたのだと思っていたことが、わたしはまだプールにいたのかということを知った三ヶ月でした。

まだ自分が勘違いをしていたことも知った。
まだ自分は何も知らないことを知った。
まだ自分は愚かであることを知った。
原家庭からの影響がますます危険なことを知った。
そして、すぐさまそれをどうにか覆すことを考えようとすることを知った。

わたしは「自分を信じることのできるわたし」に早くなりたかった。
そうしようとすればするほど、滑るのだとわかった。

滑っている自分を信じるのは…できない話だった。
目の前にそういう人がいて「信じてくれ。」と言われても、いや無理やわ、って思う。


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知識を得て知ることの逆に見えるから、言葉では上手く説明できないのだけど、何も知らなくて愚かで勘違いするかもしれない自分、なら、信じられるように感じる。

それのどこが信じられるのか? となっていたんだと思う。
それでも、何も知らなくて愚かで勘違いする自分、のほうが親しみあるし等身大のように感じるから、信じられると思う。

そういう自分を置き去りにしてきたのだなと再び思う。
今までの違和感も解けてきている。


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課題書き込みを読みかえして、酔っ払いが覚めようとすると、こういう経過を辿るのか。と読める部分もあった。
自分がないところに、人のものを受けてしまっていたんだ。と書いていた。

ないところは、何が入る?
何が入ると思ってた?
そこもわたしは勘違いしていた。

自分がそれではダメだと思って、変えようと乗り越えようと頑張って、過去のものにして刷新しようと頑張ってきたそのもの。それが入るんじゃないのかな。


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自分に厳しい自分。と書いていた、それは、自分を認めない自分。のことじゃないのかな。

認めないそういう自分を小さくしようとしてきたんだなと、やはり自分に謝らないといけない。
その小さくしようとしてきたそのものこそ、自分を守ろうとする力だったんじゃないかな。


この三ヶ月は暗かったです。今もまだ暗い。

第1週は、晴れ晴れと新緑の季節を進むように行きたいと意気込んでたけど、暗い泥沼をもがくように歩いてきた感じでした。
そして、それは悪くはないと思います。

この調子でまた、歩いていこうと思います。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) しょうげつクラス



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今回のコース中、大きな穴に落ちてしまいました。
穴に落ちている間に、自分の考え方の癖が見えてきています。

「コース2/STEP.1(前期日程)」のクラスの PAY FORWARD の時期に、はっきりと私は共依存者の自覚を持ちました。その時よりも遥かに具体的に、輪郭を持って、共依存者であると、それがこんなにも人生を害しうるということを認識しました。


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優月さんが例に挙げていた、被虐だったと思われる芸能人の生い立ちを調べて、もうこれは全く他人事ではないのだ、自分のことなのだと、本当に、命の危険がある生き方なのだと、戦慄しました。

私は「もっと自分に体力があれば」「もっとキャパシティがあれば」「もっと能力があれば」と考えます。
しかしそれらがもし、自分にあればあったで、私はさらに多くを抱え、より高い社会的地位と重い責任とより複雑な人間関係の中で、逃げられなくなり、その能力をもってしても処理しきれない問題を前に、絶望したかもしれません。…命を絶った彼らのように。


「このくらい大丈夫」
「この要求さえ飲み込めば、この数時間を我慢して、認めてもらえば、私がこれだけ頑張っていることがわかってもらえる。そしたらやっと休ませてもらえるはず」
「自分が疲れているとか辛いなんていうのは実は気の持ちようで、この人が言う通りに頑張ってみれば、もしかしたら、うまくいくかもしれない」

一つ一つは小さいと思っていたことの積み重ね。
無理なものは、やっぱり無理でした。


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これが見えるのは、それまでのワークの積み重ねがあったからです。
それがなかったら、ただただ「なぜ自分はいつもこうなのだろう」「なぜこんなに体力がないのだろう」「メンタルが弱いのだろう」「なぜ自分は頑張れないのだろう」という自己嫌悪でまた自分を傷つけて終わったことでしょう。

だから、ここでみなさんと繋がれていたこと、「ひとりじゃないよ」の環境にあること、それを提供してくださる ONSA さん、繋がると意志を持ち行動に移している自分に感謝しています。

ここまで、かなり100に近い力を注いできたワークですが、穴に落ちたら落ちたなりに、1〜99の中から、その時その時の適切な力加減で、とにかく「つながり続けていく」ということに重点を置いていきたいです。


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ONSA は自分の職業についての悩みがきっかけで始めたわけですが、それが解決すれば済むという問題でもないと気づいてきてさらに絶望しています。

「これは安全だろう」「この人は大丈夫だろう」と思ってきたものもどんどん疑問になっていきガラガラと地盤が崩れていくような感覚。

取り囲むもの全てが、「私がこうなるべくして出来上がってしまった環境」のように感じ、もしもこれを本当に構造的に根本的に解決するのであれば、全てをリセットしなければならなくなるような…途方もないことのように思えて辛いです。


そんな時に、「とにかく、目の前の一歩ずつ」という言葉が励みになります。

問題の規模の大きさに目を背けない。
投げ出さない。

この3ヶ月だけでも、私は凄まじく成長している。
だからとにかく、一歩やろう。1mm 進んでみよう。


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第1週の自己紹介を毎回このタイミングで読み返すことになる。

自己紹介の内容自体は、毎回少しずつ加筆修正するくらいで、大枠はほとんど変えていない。
それなのに、回を重ね、勉強を重ねるごとに、読み返した時の違和感が深くなる。
私の人生、ツッコミどころ満載。

こうやって読み返すと、いま私が落ちているような穴って、今までにも何回かあったのだ。
身体が悲鳴を上げて、「もうやめろ!」と言っていた時が。


そのメッセージを受け取らず、また「頑張って」しのぎ、まだ若いからそれでもなんとなく身体は持ち堪えてしまい、少しでも楽になると「私、まだやれる」と、負荷を増やし続けることをやめない。
病的だ。異常としか言えない。

そういう体調不良時に、私はいつも原家族や夫に助けてもらった。
だから、私も家族に恩返しをしなければならないのだといつも頑張っていた。

でもさ、と思う。
それらの体調不良のものすごく根本を辿ると、原因が家族にあったりしないかな。

家族が問題を作り出していることに気づかず、家族に助けてもらって、「家族がいてよかった」と、また家族のために働き、言われたことは断らない。

ねえ、これ、コロナワクチンと同じ仕組みじゃない? マッチポンプじゃない?
ああもう背筋が凍る。


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最初自己紹介を書いた時は、これが私の人生だし、こんなもんだろうと思っていた。まあ原家族は理想的な家庭環境とは言えなかったけども、私が努力を重ねたおかげで、そんな苦境の中からでもさまざまなことを勝ち取ってきた、なかなかドラマティックなサクセスストーリーじゃない? とすら思っていた。

これがドラマだったら、そりゃ面白いよね。
ドラマとか漫画って、波瀾万丈、アップダウンのあるストーリーにするために、ほとんどが共依存者の話になっているものね。

毎日コツコツ人生回復のために自分と向き合って、劇的とは言えないスピードで徐々に自分を知っていく…というのは、まずフィクションでは採用されないストーリー。だからなおさらそんな生き方は知らなかった。

巷に溢れる「目標に向かって努力すればハッピーエンド」のストーリーを完全に信じきっていた。
原家族に、安心安全を積み重ねるというロールモデルが存在しなかったから、そういう外側のロールモデルを採用するしかなかったのかもしれない。



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いま私の人生を読み返すと、ただただ、土台のなさ、安全安心の欠如、(原家族からも自分自身からも)自分への関心の低さ、不安定感しか感じない。
典型的な共依存者の人生を送ってしまっていることがよくわかる。
客観的に見て、この子(私)が幸せになっていく感じがしない。


だいたい、仕事とか出産とか、世間から見て喜ばしく生産的なことであっても、それによって本人が精神的身体的に辛く感じるならば、自傷行為のようなものだ。

自傷行為もリストカットなら、周囲がおかしさに気づいてくれるかもしれない。
この被虐の自傷行為は、外から見たら、全くそのようには見えない(むしろ歓迎される)というところも、ますます自傷行為を加速させる。

世の中には、仕事や出産を「自分の意志で好きでやっている」人がたくさんいて、また自分もそうであると思い込んでいるからだ。


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私は子ども1人を育てながら仕事をしている時ですら、ちょっときついな、辛いな、孤独だなと感じることがあった。
普通に「感じられる」人なら、そこでストップしようと考えられるかもしれない。

私はなぜそういう感情・感覚を無視して、「よし、次!」とバリバリ達成の方向へ突き進んでしまったのか。
だって子ども1人できついと思ったら、2人になったらもっと自分が苦しくなるって想像つくじゃん。ていうかなんなら少し前まで3人目どうしようとか考えてたよ。


痛みを感じられないって、本当にまずい。
自傷行為で、自分がどんどん削れているはずなのに、痛みがよくわからないから、次に行けてしまう。

本当に身体を壊して動けなくなるまで、これを続けてしまう。
本当に異常。とんでもない病。

勉強って大事だ。
この人生に違和感を感じるということは、コツコツと、「普通とは」「健康とは」の視点が、自分に身についているってことだから。


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さらにゾッとするのは、私の周囲にいる人もまた、私のこの生き方に違和感を感じないということだ。
多かれ少なかれ、似たような価値観で生きているように見える。
原家族、今の家族、かつての職場、学生時代の友人…。


厳密に言えば、その時その時で、「無理しないで」と声をかけてくれる人はいた。
しかしそういう声が小さく聞こえてしまうほどに、もっと大きな空気感が取り囲んでいた。

「無理はするもの」「頑張るもの」「自分に最大限の負荷をかけてこそ成長するもの」「これはそういう特殊な職業だから」。


自分が作り上げてしまった環境が、ますます自分自身の「魔法の、子どもの解決法」に拍車をかけてきたのだろうか。
環境を変えるという、大きな大きな事業に取り組まなければならないのだろうか。

ため息が出るな。これも、一歩ずつ。


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12週で全てを読み返すという作業は時間がかかる。
しかしかけるだけの価値があると、いつも読み返して思う。

全部忘れている。私、こんなに大事なことに毎週気付いてたんだと、また改めて気づく。
そのへんの自己啓発本を延々と読み漁ってループするより、よっぽどためになること書いてるよ。

そしてまた心に刻む。
すごく大事。流さない。


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第4週で私は、過去の自分を振り返って、「当時の私は、私の身体に対して責任を持てていなかった。体調を崩すことで、こんなに頑張っているんですと無意識に周囲にアピールしていたと思う。『こんなに頑張っているんだから休む許可を私に与えてください』と、私の体調管理を周囲に求めていた。」

アイタタタタと思う。今まだ私、これと同じことやってるわ。
これを無意識にやってるってことが依存症ってことなのね。


第4週の私は、さらにこう続ける。
「今の私は、もう、そういう私には戻りたくないと思っている。自分の限界を知り、自分の身体を知り、自分の能力を知り、休む許可を自分に与え、それができないような仕事は受けないというスタンスでいたい。」

職業としての仕事においては、最近それがうまくいっていると自負していただけに、完全に穴に落ちてしまった。


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仕事だけではないのだ。
例えば家族との約束、イベント、行事、家庭内の仕事。

こっちの方が、契約書もなければ逃げ場もなく、辞めるという選択肢は即ち家庭の分断ということになり、よっぽど断りづらい。
その上、「仕事」ではなく「プライベート」「家庭における息抜き・レジャー」という、一見楽しいことや休暇のように見えるというところも落とし穴。


体調がよければ楽しいことでも、体調が良くなければ、ただ身体に負荷をかけるだけの苦行。
それでも身体に無理を押して、「約束は守らなければ」「夫はこのために休みを作ってくれたのに」「断ろうとしたら夫がものすごく残念そうな表情と声色になった」「行ってみて、私の体調はこれだけ悪いのだということを行動で示さなければわかってもらえない」と、頑張ってしまった。

あーもうこうやって書くとただただ共依存者の思考回路。
悔しい。


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だからさ、顔が半分になってるのにそれでも自分の顔をちぎって人に差し出し続けるアンパンマンなんて、不健全でしょうが。
「ねえ、僕の顔、もう半分なくなって、目も見えないんだ。これだけ頑張って他人に僕を捧げたから、誰か僕にも捧げてよ」なんてアンパンマンが言い出したら、もはやホラー。
子どもにはとても見せられないね。

アンパンマンが顔をちぎってあげられるのは、彼に絶対的な安全基地(パン工場)があるからだよ。
パトロールが終わったら当たり前のようにパン工場に帰って、新しい顔にしてもらえることに疑問も抱かないくらい信頼しているからでしょ。

アンパンマンが羨ましい。
私は「帰っていいのかな」「大して汚れてないのに毎日新しい顔を作ってもらって申し訳ない」「ひと切れくらい顔がなくたってやっていける、平気」とか思っちゃうよ。


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第7週で、「私を高速回転させようとするものから、逃げよう、離れよう。私の中にもまだそれはいるから、しらふの賢い私自身に戻る時間を、増やしたい。」って、自分で書いてるよ。
仕事の話で書いているけど、これ、仕事だけの話じゃないって。


第9週で、「WIN-WINという考え方が、原家族に存在しなかった。『誰かを立てれば、誰かが下敷きになる』という考え方だった。一度私が下敷きになったら、今度はあなたが下敷きになる番よ、という考え方だった。」とも書いてる。
夫を下敷きにしてしまったから、今度は自分が頑張らなければ、と思ってなかったかな?


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愛情とは、「安全と一貫性」のこと。
「春の大勉強 & 大準備会」でも、第5回「『心』と『身体』の勉強会」でも、強く強調された。


私は、今の家族(つまり夫)と共にいて、果たして安全なのだろうか? 
一貫性は? ということを考え始めると、発狂しそうになる。

できれば考えたくない。逃げたい。
いや今まで逃げてきた結果がこれだろう。きつい。

たまに高価なものをやり取りして、あいさつのように愛してると言って、私は安全に過ごせているだろうか。
よくわからない。


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愛情とは、「安全と一貫性」と言われて、原家族にそれがなかったということはすぐに納得できた。
「なかった」ことはわかる。

しかしそれではどういう状態が「安全と一貫性」があるということなのかが、実感として具体的にさっぱりわからない。
だからいまだに安全に過ごせていない。

仕事を変えたことで安全安心をかなり手に入れたと、少し自信を持っていたのだけど、多分、それだけの問題ではなかったんだ。
まだ掘らなければならないんだ。


ここまで書いて、「いやでも夫だって頑張ってるし」「精一杯やっててきっと余裕がなくなってるんだ」「私のことも考えてくれているし」「こんなことを書くと、本当に彼が悪者のようではないか、私にも至らなかった点はある」と思う自分もいて、上の文章を消したくなってくるのだが、あえてこのままにする。


私が考えたこと全てが結論ではない。けれども過程として感じたこともまた、そのまま否定はしないでおこう。
思考にまでいい子ちゃんを求めるのはやめよう。


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『夢かな手帳』も読み返す。
自分としては、「安全安心」だと思っていた平日の時間も、うーん、実はやりすぎ、詰めすぎ、結構ギリギリでは? と思う。

例えば、通い放題のヨガの習い事、1コマ1時間のところを、休みの日に午前・午後・夜のオンラインと3コマも入れている日があった。いくら好きで健康にいいからと言っても、他にやることも多くある中で、これはバランスとしていかがなものか。さすがに1日1コマにとどめようかな、と思う。

「運動は毎日しなくてはいけない」「でも仕事がある日はなかなかできない」「だから休みの日は取り返すようにやらなければ」と思っているところがある。


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「運動は毎日しなくてはいけない」を助長するものとして、私が毎日身につけているアップルウオッチがある。
運動をするとゲージが貯まって、目標消費カロリーを達成すると褒めてくれる。

最初は、子どもを起こさずに自分だけ起きる目覚まし時計がほしくて買ったアップルウオッチ。
今はそういう活動量計としても使っていた。睡眠トラッカーとしても使っている。


そういうものを外部化することで、自分の「感覚」がどんどん鈍くなりはしないだろうか? という疑念を抱く。

「今日は、疲れた。休みたい」
「今日は、なんだか調子がいい。体を動かしたい」
「(運動を始めてから)今日はもう、このくらいにしておこう」


「今日はよく眠れた」
「今日は長く寝たのになんだかすっきりしない」
という自分の感覚の方が、大事ではないのか? 自分の身体は毎日刻々変化しているし、そんな内部の微細な変化まで、機械が読み取っているわけがない。

それをキャッチできるのは自分だけだ。
機械が設定した目標に自分が合わせるって、なんか変じゃない? 


デバイスとの付き合い方も考えないとな。
どんなものであれ、つい「頑張る」方向に走る自分がいる。

今も少し元気になってきて、ヨガをやってみようかなと思った時に、チェアワークで確認してみた。
すると、頭はやってみたいと思っているのに、チェアワークをした後だと、「いや、まだそこまで元気じゃないよ」とお腹が言う。


私の身体感覚は、普段は相当麻痺していて当てにならないのかもしれない。
かなりまめにチェアワークが必要だと思う。


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穴に落っこちて入院している私は、今、5年ぶりくらいに、「24時間完全に自分の時間」という日々を2週間ほど過ごしている。
最初は体調がひどくてそれどころではなかったが、身体が回復してきた今、しみじみとその時間を味わっている。


手帳の「まいにちリスト」の時間軸を見て、いかに自分の時間が少なかったのかということを知った。
仕事を変えたことで、これでも相当自分の時間は増えたと思っていた。平日に仕事が休みの日を作ったからだ。ただその休みの日でさえ、1人でいられる時間は6時間だ。

今この入院している時間の流れとは、全然違う。
朝晩は、子どもと共に慌ただしく過ぎていく。

それに気づいたからといって日常はまた戻ってくるし、すぐにその生活を変えることはできない。
それでも、「私は自分ではゆとりがあると思っていた生活でも、十分に忙しかったのだ」と気付けたことは、より自分に優しくするための第一歩になるかなと思っている。


思い切って、療養のために、6月いっぱいは仕事を休みにした。
この決断は本当に自分を褒めたい。


少しでも痛みが落ち着くと、「いや、仕事行けるんじゃない?」とすぐ考えてしまう自分をなんとか収めた上での決断だった。
落ちた穴で、思いっきり自分を癒し、向き合っていこうと思う。

前職に少しだけ手を出してみようか、などと考えていたのだが、もう、当面はそれも考えるのをやめようと思う。今やるべきことは、それじゃない。


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母と休日を過ごすと、子どもを助けてもらっているように見えて、時間軸で見直すとかえって私の負担になっている、ということにコース中に気づいたのは大きな発見だった。

それまでは毎週のように会っていたが、どんどん会わなくなっている。


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私は、年末から緑茶を飲むようになった。
私はもともと緑茶が好きだった。ただ、私はカフェインに敏感な体質なようで、例えば午後に緑茶を飲むと、その日は寝付けない、ということを経験的に味わい、またその事実を本で読んだこともあり、ここ数年やめていたのだ。


年末から始まった「自分の命を、自分で守る」勉強会。
デトックス法の中に緑茶が入っていた。改めて自分でも緑茶の効用について調べ直し、「もともと好きだったし、親戚から頂いた茶葉もあるし、また飲んでみようかな」と思い始めた。

寝つきが悪くならないように、飲むのは午前だけと決めた。
基本的に、茶葉から煎れたものだけを飲んでいた。
そうすると、1煎だけ飲むのは、もったいないなという気持ちになる。1煎目を朝に飲み、2煎目は水筒に入れて職場に持っていくということが続いた。

1人で飲むので、急須の大きさが350ml ×2煎で700ml の緑茶を毎日飲んでいたことになる。
すると、午後のいつも眠くなる時間帯もすっきりと仕事ができるので、「これは一石二鳥」と思っていた。土日の子どもがいる日も忙しいので、この習慣を続けていた。


仕事のない1人の休日は、さすがにカフェインなしで休もう、と思い、飲まなかった。
すると、この休日の眠気と倦怠感がひどい。この傾向は、時が経つごとに強くなり、4月の休日は日中ほとんど寝て過ごしていた。「季節の変わり目だから?」「疲れが溜まってるのかな?」と考え休んでいた。


私はまいにちリストの上の空白に、その日起きた時の体調を%で書いて、「眠い」「スッキリ」とか簡単にメモしている。
4月に入ってから、明らかに下がっている日が多い。土日頑張って、月曜日くらいまで保つのだが、火曜日の1人の休みの日に一気に緊張が解けて疲れが出る、というパターンが多い。


あとは日曜日の夜に夫と揉めたりすると眠れなくなって、火曜に疲れが出るパターン。そしてイレギュラーに起こる、子どもの夜泣き・おねしょ・寝つき悪いなどのトラブル対処による寝不足…。

さらに思い返せば、3月末から私は張り切って、「灯台の時間」の確保とゆとりのある朝を過ごすために、それまでより1時間早起きを始めていた。うまくいくと確かに気持ちよく過ごせる。
しかし1時間分の寝不足は確実に感じていた。それもあって、朝起きたらまずお茶を飲んだ。


起きる時間を早めた割に、寝る時間を早められていないということには気づいていて、4月の夢かなワークの「したいこと」に、「寝る時間を早めるにはどうしたらいいか検討」と書いていた。
そのくせ、実際には夜のオンラインヨガの予定を入れていたり、夜になってから有機野菜の調べ物を始めていたり、「酔っ払いながら人生回復」状態が甚だしかった。


手帳をパラパラ見返して、そういえば毎日朝にお茶を飲んでいたと気づき、今回の体調悪化と関係がないだろうかと考え直す。
ネットで調べると、「WHO のカフェイン摂取の基準値から計算すると、1日1Lくらいの緑茶を飲んでも害はない」ということになっている。


さらに、私がカフェイン断ちをするきっかけとなった本(「睡眠こそ最強の解決策である」マシュー・ウォーカー)も読み直した。4年前くらいに読んだ本なので、細かい内容は忘れていた。

・カフェインを分解する酵素の分解速度には個人差があり、その大部分は遺伝で決まっている(つまり、WHO の基準も、個人差があるからあてにならないということ)
・「カフェイン・クラッシュ」という現象がある。カフェインが切れた(完全に分解された)時に、それまでカフェインのおかげで感じなくなっていた疲労感がどっと来る現象。


アデノシンという疲労物質は、起きている間に脳内に溜まり続ける。これが脳内のアデノシン受容体と結合し、疲労感を感じさせ、人は眠気を感じるというのが正常な反応。眠るとアデノシンは一掃される。

カフェインはこのアデノシン受容体をブロックするので、眠気を感じなくさせる。
ただしブロックしている間にもアデノシンは溜まり続ける。そしてカフェインがなくなった途端に、大量に溜まったアデノシンがどかっと受容体と結合するので、猛烈な疲労感と眠気に襲われるというものだ。

この「カフェイン・クラッシュ」が辛いと、更なるカフェインで誤魔化さなければやっていけなくなる。これがカフェイン依存症だ。


ただでさえ自らの脳内物質で身体感覚を麻痺させている共依存患者だというのに、さらに麻痺させるようなものを摂取するのはまずいかもしれない。
そして、以前感じていた通り、私のカフェイン分解酵素は弱く、カフェインが効きすぎる体質なのかもしれない。


緑茶が好きなのに、やっぱり飲めないというのは残念…。
思えば、それまで摂取が0だったのに、飲み始めたら急に700ml も飲む、というのは極端すぎたのではないか。
それこそ0か100の発想。

ナチュラルハーモニーで自然栽培緑茶を買ったばかりだし、例えば1日朝に150ml だけ飲むなどの1〜99のやり方を試してみてもいいのかもしれない。
何より大事なのは、それを試した時に「自分の身体がどう反応しているかに関心を持つこと」だと思う。


私はつい、「カフェインを摂取して調子よく動ける自分」が「いい自分」だと感じて、身体が発しているメッセージについて深く考えなかった。これってアルコール依存症と同じ心理か…。

色々試して、うまくいかなかったらやめよう。
すぐ酔っ払ってしまう自分を疑って、慎重にいこう。


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「酔っ払いながら人生回復」の自覚は、なんとなく薄く感じてはいた。
今回の体調不良の初期症状は腰痛から始まったのだが、それなのに休まず「今週のワークをやり遂げなければ!」「多少腰は痛いけどやれる!」と長文を張り切って2時間ぶっ通しで書いていた。

「いや、ワークはほどほどに自分を労わることも目的でやるものだから、今週はさらっと適当にしておいて、休む方が優先じゃない?」と賢い自分は確かに言っていたのだけど、うまく自分を制御することができなかった。

次の休日、「今日こそはちゃんと休まなきゃ」と思っていたのに、また有機野菜の調べ物だの注文だのを2時間ぶっ通しでやって、腰痛が再発していた。

今はこれを書きながら、腹痛や腰痛が出てきたら横になる、を繰り返している。
何かにのめり込む時ほど、身体感覚に注意しないといけない。すぐ私は酔っ払ってしまう。


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『夢かな手帳』を見直すと、その時は正しいと思ってやっていたことも、後から考えると「このやり方じゃなくてもよかったんじゃない?」「この時言われたことに従わなくてもよかったんじゃない? 自分の感覚で決めていたことの方が正しかったんじゃない?」「そうすればここまで悪くはならなかったんじゃない?」ということが客観的に見えてくる。


悲しくなると同時に、見直さなければそのこと自体に気づかなかったな、と怖くもなる。

第12週は、すごく大事だ。
私は振り返ることが苦手だ。
放っておくと、目の前のことしか見なくなる。

ワークショップで毎回振り返りを促してくれるのは本当に、ありがたい。


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私は TODO は付箋で『夢かな手帳』に貼り付けて管理している。
最近付箋の量が増えてきて収拾がつかなくなっているなとは感じていた。

今回のことをきっかけに、「これ、やる気ないな」「必要ないな」「興味はあったけど、しばらくはやらない方がいいな」と思うものを捨てていった。
かなりスッキリした。

「やめる」とか「捨てる」とかが苦手だ。「やりたい気持ちはあるし…」「これはやっておいた方がいいかも…」とかで気づいたら膨れている。定期的に「捨てる」を意識する時があってもいいのかもしれない。


| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ

ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
実際に回復(リカバー)した者が主催であるため、現実的・実践的な内容が特徴です。

「その状況も気持ちも、"体験して" "知っている"」
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