日々是好日 |「オオカミが来たぞ !?」 備え、守り、自分で立ってゆく生き方[3]

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「時間」と「心」が活動テーマ、文筆業・藤沢優月です。
ひとつ前の、続きです。





生きてゆくことは、誰かに、代わりに備えてもらうことではない。
用語を使うなら、この状態を、「依存」という。

「けっきょく、誰かが助けてくれるだろう」
「いざとなったら、指示してもらえるだろう」

「難しいことは、頭のいい人が、代わりに考えてくれる」

「その時になったら、私は、誰かの指示に従えばいい」
「いちばん、説得力のありそうな、誰かの指示に」


これでは、自分の命は守れない。
「依存」に自覚的でないことは、言葉を変えれば、「いつでも死ねる」危険な状態。





というのも、この段になったら、声をかけてくれる「オオカミ少年」たちも、いないかもしれない。

オオカミ少年だって、自分の命を守るための、退避の最中かも。


何度、
「5キロ先まで、オオカミが迫っている」
と知らせても、真剣にとりあってもらえない。

でも、オオカミは刻々、近づいている。


オオカミの群れに襲われ、共倒れになることはできない。 だから、話を取り合ってくれない人たちのことは、あきらめるしかない。


期待していた、
「誰かが、助けてくれる」
「言っても、声をかけてくれるだろう」
「指示してくれるだろう」

いざとなった時、当てにした人たちは、もはや、いないかも。




「依存」は、非常に危険な状態。
命が守れない。自由と自立が、守れない。
これは、大変なこと。



一貫して、「依存」的な生き方の危険性がテーマである、ONSA のプログラム。
だから、この秋もワークショップは、真剣に活動中。

重ねて、オオカミの群れが、目視で確認できる頃には、時すでに遅しですから。


学び、備え、自立を守る。
付け焼き刃ではできないことだからこそ、プログラムを通じ、1つずつ学びを重ねます。

興味をお持ちのあなたのご参加も、もちろん、お待ちします。


自分の中の力。
それだけが、どのような状況でも唯一、頼りになる力。

誰の命も人生も、健やかに守られることを祈っています。