

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加) えんげつクラス
何度も読んでいるはずの最終週の課題文が、今回はとても刺さっている。
「想像」と「現実」のギャップ。
これが、この3ヶ月で大きく見えてきたことだった。
そして、「うまくいっていない現実」の方をごまかしてしまう。
「条件が整えば、うまくいくから大丈夫」
それをまさしく、私はやってしまっていた。
あるいは、0か100かの考えで、「あの時点でこのことに気がついていれば、今は完璧に準備ができていたはずなのに」と過去に飛んでいってしまう。
もうそれは終わったことなのに。
あのときの自分には、この未来は見えなかったのだから、完璧に準備ができるわけがないのに。
全く、頭を無駄な方向に働かせてしまっている。

ある程度「想像」してから、実際に「体験」に飛び込む。
それは、想像通りにいくわけがない、ということを前提にしていなければいけないんだ。
80を想像して、50になるか90になるかは、体験してわかること。
やるべきことは、理想の未来を妄想することでも、しくじった過去を反芻することでもない。
想像を裏切って50になってしまったら、その現実から計画を修正してリスタートするしかない。
それが、真の意味での「1〜99のやり方を取る」ということだ。

また、ごくごく基礎として何度も練習しているところの、「よかったところを褒める」「日々のラッキーに注目する」という習慣。
本当は、調子が悪い、うまくいっていないときほど、この習慣を維持しなければいけない。
それが、やはり難しい。
調子の悪いときでも、できていることはある。
生活は維持できていて、ごはんを美味しく食べることができている。
なのに、その幸福にはなかなか着目できず、自分責めのループにはまってしまう。
その火花は、自分だけでなく周りにも飛んでいき、そしてますます自己嫌悪に陥る。
自分で自分が認められないから、他者に認めてもらいたいと躍起になる。
その習慣のままでは、いいことが何もない。

習慣を「本当に」変えるのには時間がかかる。
このコースを何回受講したかわからないが、未だに、発見があるし、自分にはまだまだ定着していないと気が付かされる。
だからこそ、この最終週で、「何ができたのか」「できなかったのか」を丁寧に拾っていく作業は、とても大切だと感じている。
いつも通り、第1週で立てた目標を振り返る。
そうだった。
3ヶ月前には、まだ、今の私が当たり前にやっていることも、始まっていなかったのだった。
当時はうまくやれるだろうかと心配もしていたが、新しいことを始めても、生活は回せている。
そういうことを、私はすぐにゼロ見積もりしてしまう。
次へ次へと焦る前に、まずは今できたことを認めたい。

H. M. さん(40代以上/福島県よりご参加) えんげつクラス
この3ヶ月で、自分が日々どんな時間の使い方をしているのか、どんな生き方をしているのかが見えてきた。
私は、これまで「私は何もできていない」「早く何かをなさなければ」という焦りの気持ちを強く感じていたけれど、その焦りの気持ちが弱くなった。
日々の時間は有限で、1日にできることも限られるということが手帳を通じてわかり、必要な時間と労力がかけられていないのに、成果だけは今すぐに得たいという非現実的なことを考えていた自分に気づけた。
自分の時間の使い方をよく見てみると、日々何もできていないわけではないことに納得できた。
今の私は、家族が毎日快適に心地よく過ごすために思った以上に時間を使っていた。

そして、大したことがないと自分の中で認識していたそれらの行動は私にとっては、結構な時間とエネルギーを使うことだった。
私はそのくらいのキャパシティの人だった。
そんな人が、フルタイムの仕事と家事と育児を健全にやっていけるわけがなかったということに今さらながら気づいた。
過去、仕事でいっぱいいっぱいだった私は、ずっと家族を犠牲にし続けていたのだなと思う。

手帳を意識してつけてみると、改善の余地、工夫の余地があることも見えてきた。
この3ヶ月の中で、予定を詰め込みすぎたり、緩めすぎたりしたことで、まだ自分にしっくりくるペースやリズムが掴めていない現状を自覚できている。
できていない自分に気づいたなんていうことは、とても小さなことだけれど、実際に試したからこそ実感できた私にとっては大切な気づきだと思う。
自分のことをわかっているつもり、できているつもりで漠然と過ごしていたら、いつまで経っても気づけなかったと思う。
この気づきを大切に生かして、自分にしっくりくる時間の使い方を見つけていきたい。

時間の使い方で自分が思っていたものと現実がずれていたように、コミュニケーションの仕方についても、自分が思っていたものと現実がずれていることに気づいて驚いた。
相手を尊重しているつもり、よく聞いて相手を理解しようとしているつもりだった私のコミュニケーションは、それとは大きく違っていた。
そんなつもりが全くなかっただけに、この機会がなかったら気づけないまま、自分にとっても相手にとっても心地よくないコミュニケーションを続けることになっていたと思う。
「yes, but」「yes, and」というたったこれだけの違いでコミュニケーションの質が大きく変わってくることに驚いた。
実際にそれを学び、生活の中で実践を心がけたことによって夫や子供との間にこれまでより優しくて温かい気持ちが生まれた。

これまで「yes, but」のコミュニケーションでこどもたちに与えた傷やダメージを考えると本当に申し訳ないことをしたと思う。
それについては、猛省してせめてここから子どもを尊重するコミュニケーションをする努力をしていくしかないと思っている。
3ヶ月間のワークショップは、過ぎてみるとあっという間だった。
日々、その週の課題を意識して過ごし、内容はともかく、毎週課題に取り組んだ自分を褒めてあげたいと思う。

自分が思い込んでいることと、実際の現実に隔たりがあることに気づくのは、自力では難しい。
今回このワークショップに参加させていただいて、自分一人だけで考えたり、本を読んだりしても到底得られないたくさんの気づきと学びを得ることができたと思う。
受け取り切れていないこともまだまだたくさんあると思うけれど、このような貴重な学びの機会を提供していただけて本当にありがたいと思う。
また、一緒に学びの時間を共有していただいたお仲間さんたちの存在もとてもありがたかった。
皆さんからたくさんの気づきをいただいてとても学びになったし、一人じゃないという心の支えもいただいた。
優月さん、お仲間の皆さん、3ヶ月間本当にありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) えんげつクラス
わたしへ
お疲れ様。この3ヵ月、ワークショップの課題に集中できたかというと、できなかったほうが近いかと思う。
一方で、これまでの助言のあったことの学習を色々な媒体などを通じて学び続けてきた。
ほんのわずかであるが、点と点が結びついてきているようにも感じる。
ただ、私の思考はあまり当てにならない。
だから過信しないことが必要だ。

私は自分を客観視できないことで、私は自分を必要以上に過信してきた。
その上自分のできないことを認めることができずにきた。
これらを認めることが、自分が思っている以上に大変なことだという認識すらもてなかった。
その一方で、私が酔い続けている間に傷つけている人たちがいるということを、そのことをどうしても忘れがちであることを理解したうえで、取るべき責任を取っていくことをやっていきます。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。










