

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) ちとせクラス

第1週目に書いたことがもう既に何か違うなと思うぐらい、身体や心の中が目まぐるしい3ヶ月だった。
わたしの頭の中は相変わらずなので、自分の頭には申し訳ないが、あまり信用できない。
それでいて、この3ヶ月一緒にやってきたその自分の頭の容量や自分の身体でできるスピードが、「自分はこんなものなのだな。」という形を、ほんの少しずつ実感させてくれたように感じた。
そのような「こんなものの自分」で居ないと、自分のできたりできなかったりがわからないのだと思う。
そういうものが見え始めてきたからか、自分の課題書き込みは混乱していたように見えた。
今読んでみると、この人混乱してるな、しんどそうだな、と見える。

そして、混乱もしんどさも悪くないと思うようにはなってきたと思う。
スカッとした外からの一つの真理みたいなものより、自分の遅い混乱のほうがいいと思った。
また、今回は痛い気づきが多かった。
その中で、自分の立ち位置や現状や不足を確認した。
そういうことができたのも、手帳のおかげだと思った。

わたしは、上手く多面的に物事を捉え続けることができないのたと思う、つい一つのことに没頭しがちになる。
ここは手帳のコースだった、と途中で思い出した。
わたしは今混乱して整頓に疲れてるので、今現実の用事は全てストップします。は普通にできない。
既に自分の能力を超えた物事を持ちながら、気づきと混乱と整頓をしつつ、そのための活動の時間を何とかとりながら、日々のことをやる。
日々のことは、たくさんの約束でいっぱいに思う。
それは自分のことだけではないから、3倍ぐらいになっている。

わたしは、過去選択した今に続くものから、一旦大きく離れて止まることもできない中にいる。
止まらないし、止められない。
それを何とかやっていけているのは、手帳のおかげもあるのだと思った。
わたしの手帳は、既に選択した大きいものから出てくる小さいものでいっぱいだ。
生き方を変えたり対策することは大きいことを変えるしかないこと、と思い込んでいたが、これ以上の大きいことは、わたしにはできない。
だけど、わたしは、その今の大きいものから出てくる小さいものを丁寧にやることが好きだ。
それができなくなるとき、わたしはイライラしてしまう。
わたしは、今持っているものを大事にしていくことを学びたい。

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) ちとせクラス

私は、自分の時間のきろくを読んでみて、
私は、気分でやっていたんだなということを感じた。
時間の重みや事の重みがわかっていないし、わかることができないんだなと。
(これまでも散々と繰り返してきている、という事実があるから)
私は、感情をまぜるとよくないのだと思う。
(私には感情・気持ちと欲の違いがやっぱりよくわかっていないから)
だから事実としてみることができなくなる。

3ヵ月としての結果がこうだった。
わかったふうな理論武装したところで、結果は結果。
気分でやって、どうにかなるもんじゃない。
その事実を受け入れることなのだと思った。

S. Y. さん(30代/富山県よりご参加) ちとせクラス

最終週となる現在、ここでは、第1週に立てた「テーマ」の振り返りを主に行っていきます。
(1)時間習慣のトレーニング
平日は、かなりうまく回せることが増えました。
キーは、「予備時間」です。
午前に大まかにやることを決めたら、午後は予備時間にしておきます。
予定が押しても、急な連絡が入っても、予備時間があれば、たいていカバーできます。
体調がいまいちでも、予備時間があれば休むことに充てることができます。
予定を詰めてしまっていると、それを削って休む時間を作ることに罪悪感を覚え、焦り、結局うまく休めないということを、以前はよくやっていました。
予備時間を作ると、時間がもともと詰まってないので、精神的にもちゃんと休めます。結果的に効率も上がります。
順調に進み、予定が早く終われば、翌日に予定していたことや、溜めていた雑務をこなす余裕のある時間としても使えます。
このスタイルが、私にはかなり快適です。

予備時間を確保した上で予定を考えると、1週間でできる大きめのタスクは3つくらいしかないということがわかります(子どもの行事や祝日があれば、さらに減ります)。
だから、翌週の TODO リストを繰り越すときも、緊急性のないタスクで「もう、この週には入らない」と思えば、その週には書かず、次の週以降に書きます。
かつての私は、その感覚がよくわからなかったので、「とりあえず、やるべきことは全て次の週の TODO リストに書き込む」ということをやっていました。
そのやり方では、毎週、繰り越した TODO を翌週に書き写すだけで1時間くらいかかっていました。
週間予定が TODO リストの文字だらけでごちゃつき、どこから手をつけたらいいのか、ぱっと見の優先順位がわからなくなっていました。
とりあえず1番上に書いたものから手をつけてしまい、優先順位の高いものが下に書いてあったことに後から気がついて時間が足りなくなる…ということも、よくありました。
その時から比べると、ずいぶんと進歩したものだと、自分を褒めたいです。
こうやって自分のスタイルを作っていくことは、本当に試行錯誤の連続で、「一発正解」はないのだと実感しています。

優月さんからは、書籍やワークショップを通じて、大枠のフォーマットを教えていただいています。
それでも、私と優月さんでは、ライフスタイルも必要睡眠時間も仕事内容も全く異なるので、教えていただいた大枠を元に、自分に合うやり方を模索し練習するのは自分の仕事なのです。
これから私は、仕事を始めていこうとしています。
仕事の時間を確保した上で生活を回していくことになり、また一段、ハードルの高い生活に挑戦していくことになります。
おそらく、また、うまくいかない部分が出てくることと思います。
そのたびに、試行錯誤を繰り返す。
その連続が「生きる」ということなのだろうと感じています。

また、「感情」を指針にして時間の使い方を決断するという練習(の本番)も、いくつか行うことができました。
昔ながらの私のやり方をしていると、取捨選択の仕方もわからないまま、始めたものをズルズルと続けてしまいがちでした。
「違和感を感じたら、切る」ということをいくつか試して、それでいかに時間がスッキリするかということがわかりました。
新しいことを簡単に自分の時間に放り込んではいけないのだということも、よくわかりました。

(2)経済感覚
今回の3ヶ月で、最も大きく変革した部分です。
コース序盤では、まだ以前の感覚が残っていて、お金の使い方がフワフワしていました。
「フワフワ」は、快適な状態ではありません。
自分でも、漠然と不安なのに、具体的に何をどうしたらいいかわからないからです。
結局、その時々のあやふやな「気持ち」で使い方を決めていたような状況でした。
「気持ち」で決めたことは、結局のところ「欲」に流れがちでした。
コース中盤くらいに、まとまった時間をとって、徹底的にお金の流れの「見える化」を行いました。
そして、かなり厳しい状況であることに直面しました。
一方で、具体的な数値に直面できたことで、安心もしました。

今まで漠然と、「節約しなきゃ」と思っていましたが、「節約というレベルではなく、もう本当に、最低限しか使えないんだ」という現実が見えました。
それがわかってからは、出費に対する吟味の真剣度がさらに上がり、思いつきや「気持ち」で何かを買うということは、ほとんどなくなりました。
ダダ漏れになっていた固定費も、1つずつコツコツと解消してきました。
これは今回、本当に褒めたいことです。
ずっと引っかかっていたことを解消したからこそ、次に進むことができています。

「時間の使い方とお金の使い方は連動している」と、別のワークショップで学んでいました。
今、そのことが痛いほどにわかります。
時間にせよお金にせよ、スケジュール帳や家計簿を通して徹底的に「見える化」をしないと、絶対に使いこなせません。
漠然と使っていると、絶対に「漏れ」が発生します。

2ヶ月分のお金の流れを確認したことで、人生で初めて(!)、「予算」というものを計算できるようになりました。
そのことで、これから仕事を始めるにあたって、どのくらいが必要なのか、目標なのか、ということも、よくわかりました。
以前のように、「やみくもに時間を使って、やみくもに稼げば、とりあえず心配ない」というやり方が間違っていたことも、よくわかります。
私の豊かさと幸福追求のために、バランスの取れる時間配分で、適切な収入を得ることを、本来は目標に定めるべきだったのです。
そのためには、現状の時間・お金の流れの確認と、「私はどう生きたいのか」という問いが、絶対に欠かせません。

(3)仕事
こちらも、コース序盤にはかなりフワフワしていました。
コース中に、お金の見直しをしたこともあり、「これは、本当に、本気で、私が考えて、一つ一つ決断していくことなのだ」ということに気がつき、本腰を入れて動きました。
長期目標も考えながら、じっくり慎重に検討を進めました。
実際にやってみて、そんなに簡単ではないなということもありました。
「これでいいのか? 大丈夫か?」と、自己対話を重ねながら、ここまで慎重に仕事のことを考えたのは、人生で初めてです。
本当は、この慎重さをもって20代の決断もしていくべきだったのだと悔やまれます。

20代の私も、その時なりに、熟慮しているつもりでした。
決して不真面目に選んだというわけではありません。
それでも、今、サポートを得ながら本当の「考える」という動作をやればやるほど、20代の私がいかに「考えて」いなかったかがよくわかります。
全ては考えているふり・検討しているふりの「反応」でした。
一人で内省する時間を取ることよりも、あっちこっちの人に話を聞いて相談してということを繰り返して、なんとなく良さそうな選択に目星をつけるような、非常に危うい、博打的な決断でした。
悔やまれるからこそ、もうそのようなやり方は取らないのだと、強く決意して進みます。

コースの序盤に、「以前の仕事先と細く繋がっていた縁を切る」ということをしました。
もうほとんど切れていた縁にとどめを刺すようなタスクでしたが、それでもそのためにはかなりの精神的なエネルギーを要しました。
このことから、「簡単に始めたものは、簡単に終わらせることはできない。始めるときには慎重になれ」という教訓を得ました。
これはまさに、これから新しいことを始めようとしている私に刻まなければいけないことです。

(4)子どもとの関わり
子育てにおいては(1)(2)(3)といった人生の基盤の総合力が必要になってくるのだということを、改めて痛感しています。
本来であれば、(1)(2)(3)のテーマは単身のときに、じっくりと時間をかけて取り組むべき課題でした。
その基礎的な地盤なくして、パートナーと共同生活を送ることや、さらには子どもという未熟な存在を自立まで導いていくという、よりハイレベルな仕事には取り組めません。
私は単身のときに、そのことを理解しておらず、二段飛ばしの勢いで階段を駆け上がってしまいました。
今になって、いかに基礎が必要であるかということを、痛々しく感じています。
自分の時間に余裕がなければ、子どもには優しくできません。適切な対応もとれません。
お金の使い方や仕事が定まっていなければ、子どもの経験にお金をかけてあげられません。

私は登ってしまった階段を降りて、基礎をやり直しています。それしか方法はありません。
ただし、子どもに関して言えば、そこは階段ではなくてエスカレーターです。
私が降りようとしても、子どもの時間はどんどん進んでいきます。
階段の一番はじめに戻ることは、もうできないのです。
私にできることは、これ以上やみくもにエスカレーターの二段飛ばしをしないこと。
一つ一つを丁寧に選択し直すことです。

①でやってきたように、時間に余裕を持たせて、私のコンディションを恒常的に整えることは、何よりもまず必要です。
どんなに、子どもとのコミュニケーション法を勉強しても、それはかなり高度なことなので、自分に余裕がないと実行できません。
何度も失敗もしてきていますが、それでも、「今日のこの関わり方は、よかったな」と感じられる日も出てきました。
「子どもに、この経験をさせてあげたい」「子どもと、このサポートを受けたい」と調べながら考えたときに、今は経済面がネックになることが多くなりました。
これが(2)(3)が必要という理由です。
今のところは、「ひとかじり」もしつつ、取捨選択して、無理なものは諦め、手の届く範囲内での経験やサポートを受けられるように工夫しています。
これからは、もっと選択肢を増やしたいです。
そのことが、私の経済力をつけていきたいという強い動機になっています。

子どもとの関わりが増え、観察できることも増えてくると、幸せに思うシーンが増える反面、心配なことも増えてきます。
「どうも、この子は、この部分でとても困っているらしい」ということが、それぞれの子から見えてきています。
以前はそこに注目している余裕もなかったことを考えると、多く観察ができるようになったことは進歩です。
今は、書籍を読んであれこれと関わり方を試行錯誤するという方法で、うまくいき始めている部分もあります。
また、支援を受けるための手続きも、少しずつ進めてきました。
今後は、より専門性の高いところでのサポートが受けられるよう、私自身の基盤も整えつつ、進めていきたいと考えています。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。